Tatsu still writes something... Fourth season

これからも私はなにかをしてなにかを書く

この1年を振り返る

さて、東日本大震災から今日で1年である。

当時は地震発生の金曜、そして土日、月曜、火曜の午後まで停電だったので、そのころの記録が新鮮なうちに日記を書くことはできなかった。

2011年3月11日は職場で地震に遭って、10分位様子を見てから勾当台公園に避難したんだっけ。
で、SMSで報告を入れながら30分位待機した後、職場のけが人を東北公済病院に運ぶ手伝いをしたんだった。その後、いったん県庁市役所前でバスが来るかどうかの様子を見て、バスが来なかったので17時半ころから家に向かって歩き始め、鉤取でタクシーがつかまったのでそれで帰ったっけ。

で、家に帰ると停電してガス・水道も止まっていたので、コンロで火をおこしてあるものを食べていたっけ。

そんな暮らしが土日と続いて、月曜は何とか動いていた宮城交通バスで職場に行って連絡だけ受けたんだっけ。(後、職場は電気が復旧していたので、携帯電話の充電と。)

あとは東日本大震災から一週間に書いた通りの家の手伝いと。

あれから一年。

家は、風呂だけは新しくしたけど基礎の部分や壁のひびは相変わらずである。

自分の部屋は地震対策やりなおしで書いた他は自作PCを横置きして使うようにしたのが5月ごろだった。後は、停電でもなんとかなるよう、ラジカセ用に単一電池を買っておいたり、部屋にちゃちだけど電池不要の握って充電する懐中電灯を部屋の入口に置くようにして、以来机の下に置いた本の類はそのままである。

携帯電話でワンセグを見られるようにリチウムイオンバッテリ充電器を買って仕事バッグに入れるようにしたということもあったっけ。

あとは、福島第一原発事故とそれ以降の原子力発電所停止による省エネの関係で出張に行かなくなって浮いていたノートPCの使用頻度が増え、(Windows Vistaの媒体をなくしたということもあるが、)自作機の使用頻度が減ったということもあるなぁ。

さて、これを書いているのが2012年3月11日、14時18分。あと20数分で震災から丸1年だ。